卒業仲間年に数回、同じ慶應通信を卒業した友人達4人と会っておしゃべりをする機会を持っている。 彼女達とは在学中に同じ慶友会に所属していたのだが、 私は慶友会主催の学習会に参加するくらいにしか顔を出していなかったし、 あとは科目試験の時に顔をあわせて、 その都度情報交換をする程度の付き合いだった。 唯一Mさんだけは、 同期に入学したことや同じ年齢でとても魅力的な人だったので、 在学中も電話で励ましあった仲である。 思えば、このMさんと一緒に卒業式に出たいという思いが、 私の学習意欲を高めてくれたようなものだ。 他の二人は卒業式に上京し、それが縁で付き合いが始まった。 卒業式後の興奮の中で、「時々会って近況報告しよう」、 さらに「共通テーマで年に一度レポート(論文)を書こう」 なんてことになってしまった。 とはいえ、今までに二つのテーマで「論文もどき」を書いたけれど、 それをネタに会っておしゃべりをすることが主目的になっている。 それぞれの関心分野が、 「政治学」「文学」「歴史」「社会学」などと4人がバラバラなのだが、 それだけに刺激的で、 自分の知らない世界のことを知っている人への尊敬の思いが強くなる。 お互いに「みんなすごいねー」と感心し合っていて、 自分がすごいとは全く思えずにいることが面白い。 結局、何かを知るということは、 知らない世界の大きさに圧倒されるということでもあるのだろう。 これが、同じ関心分野の人同士の話し合いとなると、 「知識の多寡レベル」の感じ方になるのだろうが、 違う分野同士になると 「自分がそのことについて無知である」と痛感するのだ。 私たち人間は、それぞれ本当に狭い世界でしか生きることが出来ない。 たとえ世界中を飛び回って仕事をしていたとしても、 それは「経済畑」「政治畑」「マスコミ畑」「教育畑」「医療畑」など、 それぞれの畑の広がりでしかないことが多い。 それぞれの畑では常識であることも、違う畑では非常識になることもある。 私はずっと「福祉畑」で仕事をしてきたので、 やはりその畑での価値観や常識に縛られている。 しかし、慶應通信で学んだことで、全く違う畑に生きている人達と出会い、自分がいかに狭い世界に住んでいたかを痛感することになった。 しかしまた、狭い世界で何かを追求してきた人は、 それなりの深さや他の世界との普遍性に繋がる何かを持っていることが多く、 まったく知らない畑の話をしていても、共通する何かを発見し、 それを自分の畑の肥料にすることもできるのだ。 卒業生仲間とのおしゃべりは、いつもそのようなことを実感させてくれる。 さて、今年中にテーマに沿ったレポートを書かなくてはならない。 これがまた、今の私にとっては唯一の「新たな知識への取り組み」なので、大切にしたいと思っている。 同じテーマであっても、4人が四人とも違う切り口になることが、本当に楽しみなのである。 ( 2004年02月16) ジャンル別一覧
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